Suno

ヨミモノ

連載「AIと音楽制作 ―― 負債ではなく、検証された選択」第2回

AIに任せれば同じ音にたどり着けるのに、なぜ自分の手で作るのか。マニュアル車と機械式時計、二つの比喩で「自分でやる」を能力の問題から引き剥がす。失われるのは音を作る力ではなく、操っている手応えのほうだ――連載第2回。
ヨミモノ

連載「AIと音楽制作 ―― 負債ではなく、検証された選択」第1回

AIに頼ると、人は本当に「馬鹿になる」のか。よく語られる「負債」という言葉を、認知負債・理解負債・判断負債の三つに腑分けし、通説を疑うところから始める。負債を生むのはAIではなく、その出力をどう扱うかではないか――という問いの連載、第1回。
ヨミモノ

第8回(最終回) 中世への回帰、ただし螺旋 ―― アニミズム的転回と、人間中心への問い直し

連載最終回。バッハやハイドンのパトロン依存への回帰を螺旋として読み、アニミズムの古層にまで降りる。そして判断する人間が中心という結論そのものを、人間と機械の応答として問い直す。
ヨミモノ

第7回 日本は、先に通過していた ―― 派生の肯定と、複数性の受容

初音ミクは機械が歌う音楽を大衆化し、東方や同人は二次創作を正統な創作として確立した。日本のある文化圏は、機械歌唱・派生・複数解釈の併存をAI登場前から実装していた。ただし文化的優越論には滑らせない。
ヨミモノ

第6回 作業者から、プロデューサーへ ―― 判断する側へのシフトと、聴き手という問い

音楽制作の分業のうち、発注に応える作業者の仕事がAIと衝突する。人間は判断するプロデューサー側へシフトする。AIマスタリングの限界と、商業音楽で聴き手は制作プロセスを気にしないという現実を直視する。
ヨミモノ

第5回 大量生産と手仕事 ―― 限界費用ゼロが変えること

AI音楽は限界費用ゼロで無限に湧く。産業革命とアーツ・アンド・クラフツを鏡に、あえて人間を選ぶ価値、人間の作曲のラグジュアリー化という縮小リスク、そして機械を道具として使う第三の道を論じる。
ヨミモノ

第4回 学習データは原罪か ―― 倫理・利害・論理を分けて考える

AIの学習はクリエイターからの盗みなのか。倫理・利害・法廷闘争の三層に分けて考える。スタイルに著作権はない原則と、活版印刷が著作権を後から生んだ歴史を重ね、AI訴訟をポジション取りとして読み解く。
ヨミモノ

第3回 サンプリングからプロンプトへ ―― 能動性はむしろ上がる、という話

かつて盗作と蔑まれたサンプリングは、Digと判断によって作家性として認められた。AIへの指示はその延長で、掘る対象がレコードから潜在空間へ変わっただけ。不正確さを揺らぎ・判断・身体性の三層に分けて論じる。
ヨミモノ

第2回 写真は絵画を殺さなかった ―― 機能と表現の分離、黙示録派の系譜

写真の登場で肖像画家は職を失ったが、絵画は記録という機能から解放され印象派へ進んだ。脅かされるのは作曲ではなく機能音楽だけ。写真が独自の芸術を生んだ歴史から、AIと音楽の未来を読む。
ヨミモノ

第1回 違和感の正体 ―― なぜ作曲家のAI危機論はどこか噛み合わないのか

作曲家がAIに抱く危機感は、写真が発明された時の絵画とよく似ている。連載初回は、その危機論に潜む「正当な不安」と「的外れな恐怖」を腑分けし、淘汰されるのは作曲ではなく特定の用途だと論じる。