
前作の、その先へ
以前、この場所で、AIと音楽制作をめぐる長い連載を書いた。写真、活版印刷、産業革命、中世のパトロネージュ、日本の同人文化――いくつもの歴史を鏡にして、AIは音楽家の何を奪い、何を浮かび上がらせるのかを考えた。あの連載がたどり着いた結論を、一言で言えばこうだ。価値は希少性から判断へ移り、その判断は、いまのところ人間に残る。
だが、書き終えてから、ずっと引っかかっていることがあった。判断は人間に残る、と私は書いた。では、その判断する力そのものは、どうなるのか。AIに頼り続けた結果、肝心の判断力が痩せていったら、「判断は人間に残る」という結論は、足元から崩れるのではないか。前作は、AIが外から人間を脅かすかを論じた。今回は、その裏面を見たい。AIを使うことで、人間が内側から変質するのか、という問いだ。
巷では、こう言われている。AIに頼ると、人は馬鹿になる、と。計算をAIに任せれば暗算ができなくなり、文章をAIに書かせれば自分で書けなくなり、音楽をAIに作らせれば作曲の力が衰える。便利さと引き換えに、能力が静かに失われていく。この感覚は、AIをめぐる議論のなかで、すでに「負債」という言葉で語られはじめている。いま便利を前借りして、後でツケを払わされる、という比喩だ。ソフトウェア開発で前から使われてきた「技術的負債」という言い回しが、AIと認知の文脈に持ち込まれ、「認知負債」といった形でも語られるようになった。この連載も、その「負債」という既存の言葉を、入り口として借りることにする。
ただし、先に言っておく。私は「AIに頼ると馬鹿になる」という、あの手垢のついた結論に、まっすぐ着地するつもりはない。むしろ、その通説を、いったん疑う。負債という言葉は便利だが、便利すぎて、大事なものを見えなくする。だから、この第1回では、まず「負債」を分解することから始めたい。ひとくちに負債と言っても、性質の違うものが、少なくとも三つ混ざっているのだ。
負債を、三つに分ける
前作でも、私はとにかく「分ける」ことで考えてきた。倫理と利害と法廷闘争を分け、揺らぎと判断と身体性を分けた。今回も同じだ。AIで失われると言われる「能力」を、三つの負債に腑分けする。
認知負債 ―― 耳や手の筋肉が落ちる
ひとつめは、もっとも分かりやすい。認知負債と呼ばれているものだ。これは、使わない能力の筋肉が、文字通り落ちていく、という話だ。
ミックスを長くAIに任せていれば、自分でEQやコンプを追い込む手の感覚は鈍る。耳コピをせずにAIにコードを解析させ続ければ、和音を聴き取る耳は衰える。これは、ほとんど身体の話だ。スポーツや楽器の練習と同じで、使わない筋肉は萎える。逆に言えば、使えば戻る。認知負債は、可逆性が比較的高い。サボれば鈍り、鍛え直せば戻る、わりと素直な負債だ。
理解負債 ―― なぜそうなるのか、分からないまま
ふたつめは、少し厄介だ。ここでは理解負債と呼んでおく。これは、AIが出した結果を「鳴っているからOK」と受け取り、なぜそれが機能しているのかを理解しないまま、先へ進んでいく、という負債だ。
AIマスタリングが、いい感じに仕上げてくれた。たしかに音は良くなっている。だが、なぜその処理で良くなったのか、自分には説明できない。コード進行をAIが提案してくれた。確かに気持ちいい。だが、なぜその進行が効くのか、理屈は分からない。結果だけが手に入り、原理が手元に残らない。これは、先ほど触れたソフトウェア開発の「技術的負債」に、いちばん近い。とりあえず動くものはできたが、なぜ動いているのかを誰も理解していない状態が、積み上がっていく。
認知負債が「筋肉」の話なら、理解負債は「借金」の話だ。AIが出した良い結果は、いわば前借りだ。実力で稼いだのではなく、借りてきて、その場をしのいでいる。問題は、この借りが、手を動かすだけでは返せないことだ。認知負債なら、また自分でミックスを切れば、筋肉は戻る。だが理解負債は、何度AIに作らせても、なぜそれが効くのかを自分で遡って確かめない限り、借りたまま残り続ける。むしろ、便利だからとAIに頼るほど、借りは静かに膨らんでいく。利息のように。

判断負債 ―― 自分で良し悪しを決められなくなる
そして、みっつめ。これが、この連載で本当に問いたい、本丸の負債だ。私はこれを判断負債と呼びたい。
これは、AIの出力を「正解」として受け取ってしまい、それを採用するのか、退けるのか、どこをどう直すのかを、自分で決められなくなる、という負債だ。認知負債は手が鈍る話、理解負債は理屈が分からない話だった。判断負債は、もっと深い。良いか悪いかを、自分の基準で判定する力そのものが、痩せていく。
考えてみてほしい。AIが出してきたミックスを聴いて、「なんか違う」と思えるかどうか。その「なんか違う」を信じて、AIに逆らって直せるかどうか。あるいは、AIの出力があまりに「それらしい」せいで、自分の違和感のほうが間違っている気がして、つい受け入れてしまう。これが、判断負債の怖いところだ。手が鈍るのは見えるし、理屈が分からないのも自覚できる。だが、判断が鈍ることは、自覚しにくい。なぜなら、判断が痩せると、「判断を放棄している」という感覚すら、薄れていくからだ。AIの出力を正解だと思い込めば、そこに葛藤は生まれない。葛藤が消えたことを、人は「楽になった」と感じてしまう。
前作で、私は「判断は人間に残る」と書いた。だが、もしこの判断負債が進行すれば、判断は人間に残っていても、その判断が空っぽになる。椅子は残っているが、座っている人間が、もう何も決めていない。これこそが、AI時代に本当に警戒すべき負債ではないか。私はそう考えている。
通説を、鵜呑みにしない
さて、三つの負債を並べた。認知負債、理解負債、判断負債。ここまで読むと、「やはりAIは危険だ、頼ると人間は痩せていく」という結論に、まっすぐ進みたくなる。だが、ここで急ブレーキを踏む。
この連載は、その結論を、鵜呑みにしない。なぜなら、「AIを使うと負債が積み上がる」という通説には、ひとつ、大きな見落としがあるからだ。それは、AIを使うこと自体が、自動的に負債を生むわけではない、ということだ。
先回りして、この連載がたどり着く見立てを、少しだけ示しておく。同じようにAIを使っても、負債が積み上がる人と、むしろ積み上がらない人がいる。いや、それどころか、AIを使うことで、かえって理解が深まる場合すらある。だとすれば、負債を生むのはAIではない。AIをどう使うか、もっと正確に言えば、AIの出した結果を、その後どう扱うかだ。この「その後どう扱うか」を、これから何回もかけて、掘っていく。
だから、この連載の構えは、こうだ。「AIに頼ると馬鹿になる」とも言わないし、「AIは便利だから何も問題ない」とも言わない。そのどちらも、雑だ。本当に問うべきは、どの負債が、どういう条件で積み上がり、どういう条件なら返済されるのか、という切り分けである。前作と同じだ。私は、結論を急がず、層に分けることで考えたい。
この連載を貫く、ひとつの問い
最後に、この連載全体を貫く、ひとつの問いを置いておきたい。これから6回、私はずっと、この問いの周りを回ることになる。
自分はAIを使いこなしているのか。それとも、AIに合わせて、自分の判断を痩せさせているのか。
この二つは、外から見ると、区別がつかない。どちらも、AIを使って、そこそこ良いものを、速く作っている。手際よくAIを操っているように見える。だが、内側では、正反対のことが起きているかもしれない。一方は、AIを道具として従えて、自分の判断で最終的に音を決めている。もう一方は、AIの出すものを正解として受け入れ、自分では何も決めていない。同じ「AIを使う人」に見えて、前者は判断を握り、後者は判断を手放している。
この問いに、きれいな答えを今すぐ出すことはできない。だが、最終回までに、この問いに、自分なりの答えを出したい。そしてその答えは、たぶん「AIを使うか、使わないか」という二択の中には、ない。
いくつかの留保 ―― 「選択」には、条件がある
例によって、自分の論の弱いところを、最初に置いておく。
この連載では、これから「自分でやるか、AIに任せるか」を、その都度の状況に応じて選ぶ、という話を繰り返していく。選択、という言葉を、何度も使うことになる。だが、ここに、いちばん大きな留保がある。選択とは、複数の道を、実感として知っている者にだけ、開かれているということだ。
私が「ここは自分でやる、ここはAIに任せる」と選べるのは、両方のやり方を、身体で知っているからだ。自分でミックスを追い込んだ経験があるから、AIに任せたときに「これは任せていい」「これは違う」と判定できる。だが、最初からAIしか触ったことのない人にとって、それは「選択」ではない。自分でやる、という道が、そもそも体験として存在しないからだ。彼らにとってAIは、選び取ったものではなく、最初からそこにある「環境」――いわば初期設定だ。選択と環境は、違う。この違いは、この連載の後半で、避けて通れない問題として、もう一度ちゃんと向き合う。いま選択を語れる私自身が、すでに土台を持ってしまっている、という事実を、忘れないようにしたい。
結び ―― 負債という言葉から、出発する
今回は、出発点として、「負債」という言葉を三つに腑分けした。耳や手が鈍る認知負債。なぜ効くのか分からないまま積み上がる理解負債。そして、良し悪しを自分で決められなくなる、判断負債。この三つは、性質も、対処法も、違う。そして私は、「AIを使うと負債が積み上がる」という通説を、鵜呑みにしないと宣言した。負債を生むのはAIではなく、その出力をどう扱うか――この見立てを、これから検証していく。
次回は、もっと具体的な場所から考える。そもそも、私たちはなぜ、自分の手で音を作るのか。AIに任せれば同じゴールに着けるのに、あえて自分で操ることに、どんな意味があるのか。鍵にするのは、マニュアル車と、もうひとつ、機械式時計だ。「自分でやる」とは、能力の問題なのか、それとも、もっと別の何かなのか。そこから、負債という枠組みそのものを、少しずつ揺さぶっていきたい。
(第2回へ続く)


